1年前突然会社を辞めてしまった。本当は、自分の人生のかなり前から反省しなければならないのだろうが、ここからが当面の始まり。
 あやまってすむような仕事上の失敗を、性格もあってかきっぱりと辞表を提出してしまう。親譲りの無鉄砲では全然なくて、真面目一筋の両親の子で、几帳面なたちで人からとやかく言われたくないといった失敗べただったのです。
 
 でも親譲りと言えば、母が亡くなった時に、小さな悟り体験をしたのだと思う。数か月もすれば跡形もなくなった体験も、忘れられない精神的覚醒だったのです。そこからだらだらと考え始めて現在に至るのです。
 
 お金のことが心配になってくると、(もちろんつれあいの心痛はいかばかりかと想像します)50歳半ばの就職先はなかなか見つからない現実にぶつかります。今日など、起きがけの心痛はみじめでした。子供たちの将来や夫婦の行く末など考えると、ひどいことをしたものだと思います。
 数日前、やはり起きがけの夢の余韻で愕然としたのです。
 禅とか悟りにさまよい、スピリチュアル系の読書も体験して、それなりに自分の世界観を見つめなおしてみたりしていたのですが、1年間でずいぶんそれなりに“良い人”になりました。瞬間湯沸かし器だった怒りが見えてきて、火種の多くは消し去ることができるようになりました。
 そんな自分にいい気になってたどり着いた行く先が「クリシュナムルティ」でした。気持ち良いほど、既存の宗教や権威を無意味と断言し、どのような修行とか徳の行為も暴力的と言ってはばかりません。美しい自然の世界のような無垢な人生を指し示していました。数日前、図書館から『クリシュナムルティの神秘体験』なる本を借り読み始めました。
  
 愕然としました。この人の文章はごく普通の言葉をつかっていて、読むこと自体はとてもわかりやすいのです。が、大事なある状態を理解・体験することがとても難しいと感じていました。で!!わかりました。この人は、私とは別の人間であるといったことがです。
 そうなると、行きどまりです。貧しくても心の真実に生きることができれば、何とか生きてゆけるのではないかといった、よりどころが消えました。私たち家族は、基本的には心の在り方を最も大切にしています。私が心の中で、天才と天使と認識している娘たちも、学校で苦労している分開かれた心を持っています。
 私はまだまだ経済的、精神的に家族を守ってゆかなければいけない立場にありました。それがこの、わがままな父親の“行きどまり・dead end“状態に同行させてしまいました。しゃにむにがんばります。それしか言えない、今の父の決意です。
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