昨夜、つれあいの友人の家へ彼女のお父さんの蔵書を処分するので見に来ないかとの誘いを受けた。個人の蔵書としては読書人を称してよいほど、スライド式2列にわたる書棚ともうひとつ。私のように処分したこともないのでしょう、色褪せた興味深い本がいろいろ並んでいる。
 
 岩波の夏目漱石全集、永井荷風全集、和辻哲郎全集が揃っている。稀覯本を集めようとなさっていたわけではなく、個人の興味と時代の風を受け止めての収集だったのでしょう。私よりも年齢が上でしょうけれども、重なる興味もあり、大江健三郎、堀田善衛、開高健の初版本がいく冊もありました。感動した本は、読んだ当時の生活のまるごとを思い出させます。それもふいに出会うと。
 
 読書が趣味というと、良い趣味をお持ちだと、どこか考え深い性格のように見つめられまた付き合いにくい人間かとも警戒される。しかし、私にとって今見極めなければならないことは、読書は役に立つのだろうかということ。お父様がおなくなりになる時に、全体として沢山の本の記憶は死の門出に役に立ったか、です。
 私たちの若い頃にはまだ、世界文学全集とか日本文学全集があり、そういえば本棚に筑摩書房の世界の思想もあり、そういった教養主義の雰囲気がただよっていました。知らないよりは、どこで役に立つかわからないのだから、また他の人と分かり合えるためにも知識の集積に努めた方が賢明であるとの世論がありました。教養が無駄とまでは言えないとしても、知識、記憶偏重の雰囲気がなくなったことは喜ばしいことです。
 最近は、古本屋さんへも出かけなくなりました。今日、蔵書を買い取りに来る古本屋さん(老舗)が、儲けだけでなく、本を愛する気持ちも含めて査定してくれることを願っています。そういえば、明治天皇の事績を絵画にしたものを、一枚一枚和紙に張り付けた(たぶん宮内庁御用達)絵画集が2巻ありました。それと絶版になった文庫本の数々も、きちんと査定してほしいなぁ。
0 件のコメント:
コメントを投稿