始まりは、生家の浄土真宗から始まります。お盆などのお坊さんの説教が記憶にあります。小学生の時、ボーイスカウトが真宗系で今でも食事のときの歌を覚えています。親鸞に親しみは今でもあります。そういえば、映画『おくりびと』の原作本(青木新門著:文春文庫)で、親鸞を生死の淵で光を見た人としてとらえていたのには驚きました。
 
 母は、霊的なものをたまに見るらしく、近所の人に会ったような気やすさで死者の霊との接触を語る時がありました。わからない私たちは、聞き流すことになります。小さい時「拝み屋さん」へ行った記憶があります。恐ろしかったのか退屈だったのか、長い時間を持て余していたようです。
 高校時代は寮生活だったので、深夜に及ぶ人生論とか宗教論を戦わせました。創価学会の折伏を受けたのもこの時代が最初です。友人の家族の集会にも出かけています。私は当時読んでいたキリスト教系の作家の知識で対抗、防衛していたのです。遠藤周作、椎名麟三、トルストイ、ドストエフスキー等の知識はぬらりくらりと矛先をかわせたのです。
 
 東京へ働きに行き、帰ってきたあと、プロテスタントの洗礼を受けました。自分自身で選んだ唯一の選択です。ずいぶん重大なことに思い、思い悩んだ末教会の門をくぐった時には気持は決まっていました。良い人はたくさんいましたが、そこにキリスト本人には出会えなかったように思っています。
 天理市にある天理教本部の電気課に勤めたこともあります。洗礼に当たる“おさずけ”も受けました。3か月にわたる修養へて数年間天理教のただなかで生活できたことは面白かったです。ここでもよい人にたくさん出会いましたが、宗教的迫力を感じさせる人物はそうそういないことがわかりました。電気の点検で、天理図書館の内部に入ることが年1回ありましたが、宝の山のなかに入った感動がありました。この時代、大本教などの書物にも興味を持ち読みました。宗教的環境の中での読書は、知識だけの理解とは別に教祖像が浮かび上がってくるものです。
 札幌に戻って、クリスチャンとしてやり直し、結婚もクリスチャン同士となりました。つれあいは、カトリックの洗礼を受けています。前の教皇さまが来日した時には、随分とカトリックに近づきました。
 会社勤めをしていた間は、宗教的生活を前面に出すこともなく、宗教はと聞かれたときにクリスチャンですと答える程度の生活を送っています。人は、宗教をまとっていると安心するのです。
 母が亡くなった時、とても奇妙な経験をしました。特に何かが変わったということではなくて、個性とか自己といったものが破れてきているというか、自分の計らいを超えた力を身にまとったような気になりました。子どもの影響であるスピリチュアル系の本を抵抗なく読めるようになりました。道元の美しさも憧れるようになりました。そしていま、クリシュナムルティです。肝心なことはまったく手探り状態ですが、世界に対して単独で向き合う潔さは素晴らしい。力のないものが手を出す境地ではない気もして、尻ごみ状態です。
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