1年以上ご無沙汰でした。
たぶん多くのブログと同じで、数回記述すると面倒になり、思っていたほどの楽しみも感じられないため、ITの世界のゴミとなってしまったのです。
最近、PCの不調などがありいじっていたら、忘れていたブログの存在に気付いた次第です。
今度は、自分の純粋な楽しみのために書きづつけてみよう、記録してみようと思い立ったのです。
まずは、読書の記録から。
2008年7月の初版ですから、2年前に発行されています。
個人的感覚からこの本を手に取ることができませんでした。本の表紙に、無農薬・無肥料でリンゴを栽培することに成功した木村氏の笑顔が写っています。この笑顔がなぜかうっとうしく感じられました。よくある無農薬教の宣教ではないのかと思いこんだのです(誤解)。
もともとがNHK「プロフェッショナル仕事の流儀』からできた本です。その後も、メディアに取り上げられることも多く、結局安易な取材を誤解してうっとうしい内容に違いないと勘違い(誤解)。
本の著者は、石川拓治さん。たぶんNHKの依頼から仕事を始められたのだろうけれど、1年半にわたる取材をして完成させている。複雑な性格の木村氏やリンゴというなじみの果物の知らないことばかりの製作現場や歴史を、わかりやすく書いている。相当の実力の持ち主に違いない。
木村氏が、6年にわたって試みた無農薬・無肥料のリンゴの栽培が何の成果も見出さず、失意のうちに自殺を決意して岩木山に上る場面が圧巻。(表紙の笑顔が、単なる愛想笑いでも照れでもないことが分かった。)
本のタイトルに『奇跡』が使われているが、納得させられる内容です。たぶん、木村氏にしかできなかったことであるし、いくつもの偶然もあって、現在がある。
2009年5月23日土曜日
懺悔、恥ずかしくない?
1年前突然会社を辞めてしまった。本当は、自分の人生のかなり前から反省しなければならないのだろうが、ここからが当面の始まり。
あやまってすむような仕事上の失敗を、性格もあってかきっぱりと辞表を提出してしまう。親譲りの無鉄砲では全然なくて、真面目一筋の両親の子で、几帳面なたちで人からとやかく言われたくないといった失敗べただったのです。
でも親譲りと言えば、母が亡くなった時に、小さな悟り体験をしたのだと思う。数か月もすれば跡形もなくなった体験も、忘れられない精神的覚醒だったのです。そこからだらだらと考え始めて現在に至るのです。
お金のことが心配になってくると、(もちろんつれあいの心痛はいかばかりかと想像します)50歳半ばの就職先はなかなか見つからない現実にぶつかります。今日など、起きがけの心痛はみじめでした。子供たちの将来や夫婦の行く末など考えると、ひどいことをしたものだと思います。
数日前、やはり起きがけの夢の余韻で愕然としたのです。
禅とか悟りにさまよい、スピリチュアル系の読書も体験して、それなりに自分の世界観を見つめなおしてみたりしていたのですが、1年間でずいぶんそれなりに“良い人”になりました。瞬間湯沸かし器だった怒りが見えてきて、火種の多くは消し去ることができるようになりました。
そんな自分にいい気になってたどり着いた行く先が「クリシュナムルティ」でした。気持ち良いほど、既存の宗教や権威を無意味と断言し、どのような修行とか徳の行為も暴力的と言ってはばかりません。美しい自然の世界のような無垢な人生を指し示していました。数日前、図書館から『クリシュナムルティの神秘体験』なる本を借り読み始めました。
愕然としました。この人の文章はごく普通の言葉をつかっていて、読むこと自体はとてもわかりやすいのです。が、大事なある状態を理解・体験することがとても難しいと感じていました。で!!わかりました。この人は、私とは別の人間であるといったことがです。
そうなると、行きどまりです。貧しくても心の真実に生きることができれば、何とか生きてゆけるのではないかといった、よりどころが消えました。私たち家族は、基本的には心の在り方を最も大切にしています。私が心の中で、天才と天使と認識している娘たちも、学校で苦労している分開かれた心を持っています。
私はまだまだ経済的、精神的に家族を守ってゆかなければいけない立場にありました。それがこの、わがままな父親の“行きどまり・dead end“状態に同行させてしまいました。しゃにむにがんばります。それしか言えない、今の父の決意です。
あやまってすむような仕事上の失敗を、性格もあってかきっぱりと辞表を提出してしまう。親譲りの無鉄砲では全然なくて、真面目一筋の両親の子で、几帳面なたちで人からとやかく言われたくないといった失敗べただったのです。
でも親譲りと言えば、母が亡くなった時に、小さな悟り体験をしたのだと思う。数か月もすれば跡形もなくなった体験も、忘れられない精神的覚醒だったのです。そこからだらだらと考え始めて現在に至るのです。
お金のことが心配になってくると、(もちろんつれあいの心痛はいかばかりかと想像します)50歳半ばの就職先はなかなか見つからない現実にぶつかります。今日など、起きがけの心痛はみじめでした。子供たちの将来や夫婦の行く末など考えると、ひどいことをしたものだと思います。
数日前、やはり起きがけの夢の余韻で愕然としたのです。
禅とか悟りにさまよい、スピリチュアル系の読書も体験して、それなりに自分の世界観を見つめなおしてみたりしていたのですが、1年間でずいぶんそれなりに“良い人”になりました。瞬間湯沸かし器だった怒りが見えてきて、火種の多くは消し去ることができるようになりました。
そんな自分にいい気になってたどり着いた行く先が「クリシュナムルティ」でした。気持ち良いほど、既存の宗教や権威を無意味と断言し、どのような修行とか徳の行為も暴力的と言ってはばかりません。美しい自然の世界のような無垢な人生を指し示していました。数日前、図書館から『クリシュナムルティの神秘体験』なる本を借り読み始めました。
愕然としました。この人の文章はごく普通の言葉をつかっていて、読むこと自体はとてもわかりやすいのです。が、大事なある状態を理解・体験することがとても難しいと感じていました。で!!わかりました。この人は、私とは別の人間であるといったことがです。
そうなると、行きどまりです。貧しくても心の真実に生きることができれば、何とか生きてゆけるのではないかといった、よりどころが消えました。私たち家族は、基本的には心の在り方を最も大切にしています。私が心の中で、天才と天使と認識している娘たちも、学校で苦労している分開かれた心を持っています。
私はまだまだ経済的、精神的に家族を守ってゆかなければいけない立場にありました。それがこの、わがままな父親の“行きどまり・dead end“状態に同行させてしまいました。しゃにむにがんばります。それしか言えない、今の父の決意です。
2009年5月13日水曜日
宗教的遍歴
始まりは、生家の浄土真宗から始まります。お盆などのお坊さんの説教が記憶にあります。小学生の時、ボーイスカウトが真宗系で今でも食事のときの歌を覚えています。親鸞に親しみは今でもあります。そういえば、映画『おくりびと』の原作本(青木新門著:文春文庫)で、親鸞を生死の淵で光を見た人としてとらえていたのには驚きました。
母は、霊的なものをたまに見るらしく、近所の人に会ったような気やすさで死者の霊との接触を語る時がありました。わからない私たちは、聞き流すことになります。小さい時「拝み屋さん」へ行った記憶があります。恐ろしかったのか退屈だったのか、長い時間を持て余していたようです。
高校時代は寮生活だったので、深夜に及ぶ人生論とか宗教論を戦わせました。創価学会の折伏を受けたのもこの時代が最初です。友人の家族の集会にも出かけています。私は当時読んでいたキリスト教系の作家の知識で対抗、防衛していたのです。遠藤周作、椎名麟三、トルストイ、ドストエフスキー等の知識はぬらりくらりと矛先をかわせたのです。
東京へ働きに行き、帰ってきたあと、プロテスタントの洗礼を受けました。自分自身で選んだ唯一の選択です。ずいぶん重大なことに思い、思い悩んだ末教会の門をくぐった時には気持は決まっていました。良い人はたくさんいましたが、そこにキリスト本人には出会えなかったように思っています。
天理市にある天理教本部の電気課に勤めたこともあります。洗礼に当たる“おさずけ”も受けました。3か月にわたる修養へて数年間天理教のただなかで生活できたことは面白かったです。ここでもよい人にたくさん出会いましたが、宗教的迫力を感じさせる人物はそうそういないことがわかりました。電気の点検で、天理図書館の内部に入ることが年1回ありましたが、宝の山のなかに入った感動がありました。この時代、大本教などの書物にも興味を持ち読みました。宗教的環境の中での読書は、知識だけの理解とは別に教祖像が浮かび上がってくるものです。
札幌に戻って、クリスチャンとしてやり直し、結婚もクリスチャン同士となりました。つれあいは、カトリックの洗礼を受けています。前の教皇さまが来日した時には、随分とカトリックに近づきました。
会社勤めをしていた間は、宗教的生活を前面に出すこともなく、宗教はと聞かれたときにクリスチャンですと答える程度の生活を送っています。人は、宗教をまとっていると安心するのです。
母が亡くなった時、とても奇妙な経験をしました。特に何かが変わったということではなくて、個性とか自己といったものが破れてきているというか、自分の計らいを超えた力を身にまとったような気になりました。子どもの影響であるスピリチュアル系の本を抵抗なく読めるようになりました。道元の美しさも憧れるようになりました。そしていま、クリシュナムルティです。肝心なことはまったく手探り状態ですが、世界に対して単独で向き合う潔さは素晴らしい。力のないものが手を出す境地ではない気もして、尻ごみ状態です。
母は、霊的なものをたまに見るらしく、近所の人に会ったような気やすさで死者の霊との接触を語る時がありました。わからない私たちは、聞き流すことになります。小さい時「拝み屋さん」へ行った記憶があります。恐ろしかったのか退屈だったのか、長い時間を持て余していたようです。
高校時代は寮生活だったので、深夜に及ぶ人生論とか宗教論を戦わせました。創価学会の折伏を受けたのもこの時代が最初です。友人の家族の集会にも出かけています。私は当時読んでいたキリスト教系の作家の知識で対抗、防衛していたのです。遠藤周作、椎名麟三、トルストイ、ドストエフスキー等の知識はぬらりくらりと矛先をかわせたのです。
東京へ働きに行き、帰ってきたあと、プロテスタントの洗礼を受けました。自分自身で選んだ唯一の選択です。ずいぶん重大なことに思い、思い悩んだ末教会の門をくぐった時には気持は決まっていました。良い人はたくさんいましたが、そこにキリスト本人には出会えなかったように思っています。
天理市にある天理教本部の電気課に勤めたこともあります。洗礼に当たる“おさずけ”も受けました。3か月にわたる修養へて数年間天理教のただなかで生活できたことは面白かったです。ここでもよい人にたくさん出会いましたが、宗教的迫力を感じさせる人物はそうそういないことがわかりました。電気の点検で、天理図書館の内部に入ることが年1回ありましたが、宝の山のなかに入った感動がありました。この時代、大本教などの書物にも興味を持ち読みました。宗教的環境の中での読書は、知識だけの理解とは別に教祖像が浮かび上がってくるものです。
札幌に戻って、クリスチャンとしてやり直し、結婚もクリスチャン同士となりました。つれあいは、カトリックの洗礼を受けています。前の教皇さまが来日した時には、随分とカトリックに近づきました。
会社勤めをしていた間は、宗教的生活を前面に出すこともなく、宗教はと聞かれたときにクリスチャンですと答える程度の生活を送っています。人は、宗教をまとっていると安心するのです。
母が亡くなった時、とても奇妙な経験をしました。特に何かが変わったということではなくて、個性とか自己といったものが破れてきているというか、自分の計らいを超えた力を身にまとったような気になりました。子どもの影響であるスピリチュアル系の本を抵抗なく読めるようになりました。道元の美しさも憧れるようになりました。そしていま、クリシュナムルティです。肝心なことはまったく手探り状態ですが、世界に対して単独で向き合う潔さは素晴らしい。力のないものが手を出す境地ではない気もして、尻ごみ状態です。
2009年5月10日日曜日
読書人
昨夜、つれあいの友人の家へ彼女のお父さんの蔵書を処分するので見に来ないかとの誘いを受けた。個人の蔵書としては読書人を称してよいほど、スライド式2列にわたる書棚ともうひとつ。私のように処分したこともないのでしょう、色褪せた興味深い本がいろいろ並んでいる。
岩波の夏目漱石全集、永井荷風全集、和辻哲郎全集が揃っている。稀覯本を集めようとなさっていたわけではなく、個人の興味と時代の風を受け止めての収集だったのでしょう。私よりも年齢が上でしょうけれども、重なる興味もあり、大江健三郎、堀田善衛、開高健の初版本がいく冊もありました。感動した本は、読んだ当時の生活のまるごとを思い出させます。それもふいに出会うと。
読書が趣味というと、良い趣味をお持ちだと、どこか考え深い性格のように見つめられまた付き合いにくい人間かとも警戒される。しかし、私にとって今見極めなければならないことは、読書は役に立つのだろうかということ。お父様がおなくなりになる時に、全体として沢山の本の記憶は死の門出に役に立ったか、です。
私たちの若い頃にはまだ、世界文学全集とか日本文学全集があり、そういえば本棚に筑摩書房の世界の思想もあり、そういった教養主義の雰囲気がただよっていました。知らないよりは、どこで役に立つかわからないのだから、また他の人と分かり合えるためにも知識の集積に努めた方が賢明であるとの世論がありました。教養が無駄とまでは言えないとしても、知識、記憶偏重の雰囲気がなくなったことは喜ばしいことです。
最近は、古本屋さんへも出かけなくなりました。今日、蔵書を買い取りに来る古本屋さん(老舗)が、儲けだけでなく、本を愛する気持ちも含めて査定してくれることを願っています。そういえば、明治天皇の事績を絵画にしたものを、一枚一枚和紙に張り付けた(たぶん宮内庁御用達)絵画集が2巻ありました。それと絶版になった文庫本の数々も、きちんと査定してほしいなぁ。
岩波の夏目漱石全集、永井荷風全集、和辻哲郎全集が揃っている。稀覯本を集めようとなさっていたわけではなく、個人の興味と時代の風を受け止めての収集だったのでしょう。私よりも年齢が上でしょうけれども、重なる興味もあり、大江健三郎、堀田善衛、開高健の初版本がいく冊もありました。感動した本は、読んだ当時の生活のまるごとを思い出させます。それもふいに出会うと。
読書が趣味というと、良い趣味をお持ちだと、どこか考え深い性格のように見つめられまた付き合いにくい人間かとも警戒される。しかし、私にとって今見極めなければならないことは、読書は役に立つのだろうかということ。お父様がおなくなりになる時に、全体として沢山の本の記憶は死の門出に役に立ったか、です。
私たちの若い頃にはまだ、世界文学全集とか日本文学全集があり、そういえば本棚に筑摩書房の世界の思想もあり、そういった教養主義の雰囲気がただよっていました。知らないよりは、どこで役に立つかわからないのだから、また他の人と分かり合えるためにも知識の集積に努めた方が賢明であるとの世論がありました。教養が無駄とまでは言えないとしても、知識、記憶偏重の雰囲気がなくなったことは喜ばしいことです。
最近は、古本屋さんへも出かけなくなりました。今日、蔵書を買い取りに来る古本屋さん(老舗)が、儲けだけでなく、本を愛する気持ちも含めて査定してくれることを願っています。そういえば、明治天皇の事績を絵画にしたものを、一枚一枚和紙に張り付けた(たぶん宮内庁御用達)絵画集が2巻ありました。それと絶版になった文庫本の数々も、きちんと査定してほしいなぁ。
2009年5月5日火曜日
雪だるま がんばっていきまっしょい
雪だるまの絵は、娘の描いてくれたものです。
雪だるまの絵ということで、映画・磯村一路監督、田中麗奈のデビュー作『がんばっていきまっしょい』を思い出しました。主人公の 悦ネェ (田中麗奈)が入学早々の数学のテストで答案用紙に落書きをしますが、それが雪だるまの絵でした。教師が、“これはベルばらのオスカルか”と時代を感じさせるセリフを言います。彼女は「いえ、雪だるまです。・・・手も足も出ない(問題が解けない)」と答え立たされる、印象的なシーンです。そういう意味で言えば、今の私にぴったりでもあります。
この映画は、1976年から映画は始まります。美しい瀬戸内海の入り江が何度か印象的に映し出されます。ボート部というなじみのないスポーツにも、親しみを感じてしまいます。あの海で親しい友とボートを漕ぎたい、そういう経験を持っていたらどれほど青春の思い出が貴重なものとなったか。ちなみに、彼女たち(5人)はコックスフォアという、重たい艇と漕ぐのも難しそうなのが、よく描かれています。彼女たちは、高校生らしいにぎやかさもありますが、ひたむきにボートに向かいます。ドベ(最下位)脱出が目標ですから、高校野球のような根性とか学校の名誉といった下品さがないのが好ましい。
この作品は、1998年キネマ旬報日本映画3位、田中麗奈が新人女優賞を獲得しています。
腰を痛めた 悦ネェ が行く温泉・道後温泉も懐かしく思い出して、私にとって大切な作品であり、たびたび鑑賞しています。
主人公たちが通う高校の応援の掛け声“がんばっていきまっしょい”も私の大切なキーワードです。
ちなみに、TVでもリメイクされましたが、30分ほど見ただけで鑑賞放棄、どんな作品だったのでしょう。
雪だるまの絵ということで、映画・磯村一路監督、田中麗奈のデビュー作『がんばっていきまっしょい』を思い出しました。主人公の 悦ネェ (田中麗奈)が入学早々の数学のテストで答案用紙に落書きをしますが、それが雪だるまの絵でした。教師が、“これはベルばらのオスカルか”と時代を感じさせるセリフを言います。彼女は「いえ、雪だるまです。・・・手も足も出ない(問題が解けない)」と答え立たされる、印象的なシーンです。そういう意味で言えば、今の私にぴったりでもあります。
この映画は、1976年から映画は始まります。美しい瀬戸内海の入り江が何度か印象的に映し出されます。ボート部というなじみのないスポーツにも、親しみを感じてしまいます。あの海で親しい友とボートを漕ぎたい、そういう経験を持っていたらどれほど青春の思い出が貴重なものとなったか。ちなみに、彼女たち(5人)はコックスフォアという、重たい艇と漕ぐのも難しそうなのが、よく描かれています。彼女たちは、高校生らしいにぎやかさもありますが、ひたむきにボートに向かいます。ドベ(最下位)脱出が目標ですから、高校野球のような根性とか学校の名誉といった下品さがないのが好ましい。
この作品は、1998年キネマ旬報日本映画3位、田中麗奈が新人女優賞を獲得しています。
腰を痛めた 悦ネェ が行く温泉・道後温泉も懐かしく思い出して、私にとって大切な作品であり、たびたび鑑賞しています。
主人公たちが通う高校の応援の掛け声“がんばっていきまっしょい”も私の大切なキーワードです。
ちなみに、TVでもリメイクされましたが、30分ほど見ただけで鑑賞放棄、どんな作品だったのでしょう。
2009年5月4日月曜日
IT的ひきこもりだった
娘が、この頃一人で外へ出かけるようになった。一般交通機関などに乗車してもパニックになることもなく、用事をすませて家へ帰ってきました。とても嬉しそうにしている今日この頃なのです。
私も、インターネット歴は長いものの、ネットショップもブログもmyホームページとも無縁でした。
インターネット初期のころは、ずいぶんネットの世界は恐ろしいとのイメージと設定の面倒くささがあったように記憶していたのがトラウマなのか。パソコンを趣味の一つに楽しんでいても、私も外に出ることはありませんでした。
我が家の面々が、「オークションに出した」だの「本をネットで注文した」だの、なんの抵抗も持たず自分の道具としています。そろそろ、と考え始めたのです。
実は、つれあいに頼まれてホームページを作りました。ひな形を作ったところ、娘たちにうけて、その後制作ソフトの使い方をちょっと教えただけで、2週間ほどで完成させてしまいました。♪♪若いってすばらしい・・・
実用に迫られてもいます。求職中で、生活を支えられるだけの職に就く当てもないわけで、単身赴任ともなると連絡方法に使えると思いついたのでもあります。
それに、半年以上にわたって考えつづけたこともあります。記録にとって置く方が賢明だとの判断もあります。
そこで、ブログデビューとなりました。実は、このブログ、つれあいが途中まで作りかけのものでした。まぁいいかと、そのまま使ってみることにします。
皆様、よろしくご指導お願いします。
私も、インターネット歴は長いものの、ネットショップもブログもmyホームページとも無縁でした。
インターネット初期のころは、ずいぶんネットの世界は恐ろしいとのイメージと設定の面倒くささがあったように記憶していたのがトラウマなのか。パソコンを趣味の一つに楽しんでいても、私も外に出ることはありませんでした。
我が家の面々が、「オークションに出した」だの「本をネットで注文した」だの、なんの抵抗も持たず自分の道具としています。そろそろ、と考え始めたのです。
実は、つれあいに頼まれてホームページを作りました。ひな形を作ったところ、娘たちにうけて、その後制作ソフトの使い方をちょっと教えただけで、2週間ほどで完成させてしまいました。♪♪若いってすばらしい・・・
実用に迫られてもいます。求職中で、生活を支えられるだけの職に就く当てもないわけで、単身赴任ともなると連絡方法に使えると思いついたのでもあります。
それに、半年以上にわたって考えつづけたこともあります。記録にとって置く方が賢明だとの判断もあります。
そこで、ブログデビューとなりました。実は、このブログ、つれあいが途中まで作りかけのものでした。まぁいいかと、そのまま使ってみることにします。
皆様、よろしくご指導お願いします。
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